小さな幸せと小さな不幸せでいい
毎度、サイトーです。
昨日のパチプロの連れとの話の続きです。
パチプロの連れから問題児の愚痴を聞いて、そこから話は変わって、今後の生き方みたいな話になった。
彼は両親は健在で、同居している。親父は個人の設計士だが、仕事はあってないようなもの。残り10年の家のローンは連れが払い、その他はパートの母親でまかなっている状態だ。
しかし、彼も若い頃に色々しでかした人間なので、こんなもので親に借りを返せたとは思っていないし、今後、結婚して孫を見せるということは出来ないので、それ以外の出来る範囲で親のサポートをしたいと言っていた。
高校3年の時に人並みでは無いと悟る
彼曰く、もう高校3年の時には人並みに成るのは難しいと考え、その後、何回か社会にアタックもしたが、ルーズルーズの関係にしかならず、やっぱりなと思ったらしい。
なので、今後は親や他人の迷惑にならない範囲で生きて、死ねれば良いと考えてる。大きな幸せや人並の幸せは望まず、ちいさな幸せと小さな不幸せがあればいい。(小さな~は誰か歌の歌詞らしいが、忘れた。)
もの凄い諦念に感じるが、今は俺もその考えが何となくわかる。
人間は基準を作って、それより上なら喜ぶし、下なら悲しむ。
その基準を捨ててしまえば楽になれるのに、それを捨てられずに生きている俺からしたら、もうそういう生き方をすべきなのかもなと思った。
40代、50代の転職ブログを読んで
この前の週末、40代、50代の転職ブログを読んでいた。辛い転職活動を潜り抜けて、正社員になっても相変わらずの苦しみ。
俺からしたら能力も経験もあり、努力もしているのに、こんな生活しか出来ないのかと辛くなった。
良い人柱が来たとばかりに困難な仕事を押し付けられ、終電帰りを続けるような生活で、彼らが夢想する人並みの生活は得られない。
言い過ぎなのかもしれないが、生き地獄という感じがした。
しかし、それは何かの基準に縛られているがゆえ、生き地獄に陥っているのかもしれないと連れの話を聞いていて思った。
人並ではなく楽しいか、面白いか
彼は7月に沖縄旅行に行ってきて、沖縄の浜辺で見知らぬ人達と酒盛りを楽しんだらしい。
沖縄の風習はわからないが、浜辺をぶらぶらしていると酒盛りをしている集団があり、一緒に飲もうと入れてくれて、飲んで踊って楽しい日々だったそうだ。
彼は人並に就職して結婚してということは諦めている代わりに、山ほど遊んで、旅行に行ったり、ライブに行ったりしている。
そこは諦めていないのだ。面白いこと、楽しいことは味わっている。
俺なんかは就職もしてないのに楽しむわけにはいかない、~でないのにあれこれ出来ないと考えがちだ。
しかし、それは自分で自分の首を絞めているのかもしれない。
まとめ
彼と2人でカラオケに行ったのは初めてだったんだけど、意外に唄うことが好きで、しかも交互に唄ったりするのが好きだった。
Aメロを俺が歌い、Bメロを彼が歌い、サビを一緒に歌ったりして、肩を組んで唄った。
何よりびっくりしたのが、彼が歌がド下手だったことだ。音程も歌詞もめちゃくちゃなのに、気持ち良さそうに歌っていた。
自身満々に立ち上がり、マイクのお尻を天井に向けながら唄う連れを見て、何はなくても楽しめばいいのかもなと思った。