自転車の鍵掛けるの忘れて電車に乗って……
本日は研修日。
何だか寝付けずに明け方まで起きていたので起きたのは1時間前。そこからシャワー浴びて準備出来たら、自転車で全速力で漕いで駅までギリギリの時間だった。
初日から遅刻かよ!と思いながらダッシュで向かった。途中の信号機は全て青。
神は我と共にあり!と思い、急いで駐輪場に自転車を止めて電車に乗った。余裕だった。
落ち着いて音楽でも聴こうと思った時に気づいた。
自転車の鍵を掛けてない……。
人間は損失に強く反応するもの
あの自転車はまだ買って2年も経ってないし、多分1万円ぐらいした。元は取れていない。
今回の短期アルバイト代で買うなら2日分ぐらいだ。
ということは遅刻して自転車の鍵を取りに行った方が賢い。でも、初日から遅刻して言い訳するの辛くないか?
こんなことが頭を駆け巡っている間に、電車のドアがプシュッと音をたてて閉まった。
昨年ノーベル経済学賞で話題になった行動経済学だが、その権威でずっと前にノーベル賞を取ったダニエル・カーネマンと共同研究者のエイモス・トヴァスキーによると、「人々が100ドルを失う苦しみは、同じ額を手に入れる喜びの約2倍」らしい。
わかる。今の僕にはわかる。
研修中、僕はずっと失われたであろう自転車について考えていた。ネガティブな想像は得意とするところだからね。
やはり神は我と共にあり
研修を終え地元の駅に帰ってきた。
駐輪場に真っ直ぐ向かうと。そこに我が愛車は居た。木は森に隠せというけど、確かだな。
やはり神は我と共にあった。
久々の労働?(研修)と無職には関係ないのだけど金曜の解放感。そして、失われたと思われた自転車を手にした僕は、禁酒しているビールをゴクリと一杯やった。
1円も得なんてしてないのにね。
自転車の損失に怯え、自転車があったことを利益と捉えて、1杯やってしまう。
チンパンジーかな?
あとがき
雑記ブログを再開したんだけど、無職引きこもりと雑記ブログの相性はすこぶる悪い。
いや、20代ぐらいの若手ニートならアニメやゲーム、映画に漫画、アイドル、音楽と趣味に没頭して、それを語ることができるのかもしれない。
しかし、オッサンになるともうそんな気力が無い。
ゲームすら疲れて、積みゲーにしてしまう年代である。
これからアルバイトするので恐らく雑記ブログに書くネタに困らないであろう。そういう意味では良かった。
あと何か知らないけど、人手不足なのか短期なのに雇用期間が延びてた。2ヶ月じゃないみたい。
最後はバックレてネタにするのもアリだな。